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田原城 丘城 四條畷市上田原八の坪
規模 東西120m×南北100m 標高180m 比高30bm

田原城全景 本郭 本郭と二の丸をへだてる堀切 深い堀切
田原城全景  東から撮影 本丸 落城の後に住吉神社 左本丸右二の丸の掘切 深い堀切
田原城城郭図

 田原城は、大和と河内の両国の国境に位置し、東に田原盆地を望み、西方背後は生駒山脈に続いています。北から南にかけては急崖となり、北谷川をはさんで古堤街道が走っています。また、北方に走る清滝街道は、生駒山系、飯盛山を経て河内へ通じ、東は京街道へと続く磐船街道をひかえています。これら3本の街道は大和から京・河内に通じる重要な地点です。

田原城主の田原氏菩提寺「千光寺」の法灯をつぐ月泉寺には、南北朝時代の位牌が伝わっています。田原氏は、この頃から田原の地を治めていた土豪であったと思われ、居館は正傳寺の南方台地の字「古城」と呼ばれる付近にあったと推定されています。戦国期に入ると、この館から、より軍事的拠点となる現在の田原城跡に移したのでしょう。

 当城を築いたのは田原対馬守某と考えられています。飯盛山城に三好長慶が居を移した頃は三好氏に属し、飯盛山城の防備の手薄な東方面の大和に対する最前線的な役割を果たしていました。
織田信長の入洛による畿内平定によって天正4年(1576)頃、飯盛山城とともに廃城となりました。


安土桃山時代の殿様はキリシタンで田原レイマンといいます。千光寺跡からレイマンの墓碑が発見されました。詳しくはこちら。


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