奈良井遺跡 (市民総合センター)

調査地の全景
このような場所で馬の首を切って、
神さまにお供えする過激なまつりをしました。

調査中の遺跡全景
調査地の全景
発掘調査の様子
こんなものが見つかりました

展示風景
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長方形をした馬のまつり場には溝がめぐっています上が北)
    遺跡の概要
この遺跡は昭和54年に四條畷市立市民総合センター建設に伴って発掘調査されました。
 遺跡は馬のまつりをした場所でした。まつりに使った土器類をはじめ、馬は7頭分以上出土しています。
馬はもちろんのこと、人や馬の形代やミニチュアの土器はこの遺跡を特徴づけるものです。
まつり場は、右側の道路で分断されていて、ほぼ半分だけ見つかりました。

 古墳時代の四條畷市は湖ほとりにありました。
 馬は古墳時代の中頃に朝鮮半島から準構造船に乗って四條畷にやってきました。
 難波の津から河内湖に入ってきて四條畷で馬をおろしました。
 四條畷あたりに下ろされた馬は渡来人によって飼育されました。
古代河内湖の図
古代河内湖時代の四條畷
赤い丸が奈良井遺跡
清滝川と岡部川のまわりを中心にして牧場がありました。
山と川と湖に囲まれた環境のよい場所でした
薄紫ー古墳群(墓地)
黄ー中野遺跡(集落)
黄緑ー鎌田遺跡(まつり場・水田)
ピンクー蔀屋北遺跡(まつり場・製塩工場?)
 古墳時代の四條畷市は西に湖、東に生駒山系の山並みにはさまれた場所にありました。山系からはいく筋もの川が流れ出していて、牧場の柵の役目をはたしました。
 起伏に富んだ地形は馬を訓練するのには最適です。
 湖や川辺には馬が好む草がたくさん生えています。そのような自然環境は馬を飼育するのに最適でした。

ウメやサクラの花の咲き誇る四條畷の牧場で
元気に育った馬は、王朝や豪族などに供給されました。

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